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俳人の説明

管理人による説明

大正から平成にかけて活躍した俳人。石田波郷に師事し、俳誌「泉」の編集長・主宰を務めた。生活諷詠から写生句への転換により独自の句風を確立した。

生涯

石田勝彦(いしだかつひこ)は1920年(大正9年)10月3日、北海道に生まれた。本名は和郎である。1938年に旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業し、國學院大學に進学したが中退した。

戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所する。この療養生活が俳句との出会いをもたらすこととなった。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」で加藤楸邨の選を受け、翌1953年に「寒雷」に入会した。また石田波郷に師事し、1954年に俳誌「鶴」に入会し、「鶴」支部句会では小林康治からも学んだ。

波郷没後の1974年、小林康治の「泉」創刊に参加し、編集を担当した。1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務めるようになった。1988年には俳人協会評議員に就任した。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲った。2004年7月9日、慢性腎不全のため東京都八王子市の病院で死去した。83歳であった。

俳句歴

石田勝彦は当初、生活諷詠俳句を詠んでいたが、1985年前後に写生句への転換を図った。この転換は自己の俳句確立のための模索であり、高野素十を初めとする「ホトトギス」作家の句集を学び、歳時記も虚子編『新歳時記』一本に絞り込むなど、徹底した研鑽を積んだ。

綾部仁喜によれば、勝彦俳句の特色は、写生の背後に人間が存在していることである。第二句集『百千』以後、写生は客観の度を強めているが、それと呼吸を合わせるように人間の存在も色濃くなってきている。当初からの写生派俳人と異なり、写生に人間探求派の出自を二枚重ねした点が勝彦俳句の強みとなっている。

2000年、句集『秋興』により第39回俳人協会賞を受賞した。『秋興』は1989年から1996年までの中から290句を収めた第三句集であり、写生句への転換後の成熟した作風を示す句集として高く評価された。

その他の特記事項

主な句集として『鴎』『百千』『秋興』がある。また、師である石田波郷の句集『初蝶』の編集・解題を担当し、ふらんす堂文庫から刊行した。

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参考にさせていただいたWebサイト様
石田勝彦 -- Wikipedia 第二十五夜 石田勝彦の「ぺんぺん草」の句 -- miho.opera-noel.net

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

本名和郎(かずろう)
生没1920 〜 2004

現在、14句の俳句が登録されています。

    • 浅草祭 あさくさまつり
      季節: 夏(初夏) 分類: 宗教(神道)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.130
    • 早苗 さなえ
      季節: 夏(仲夏) 分類: 植物(イネ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.244