優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治・大正期の国民的俳人。後輩である正岡子規に俳句を学んだ。

生涯

内藤鳴雪は、弘化4年4月15日(1847年5月29日)に、伊予松山藩の上級武士内藤房之進(同人)と八十の長男として、江戸の松山藩中屋敷(三田一丁目)に生まれた。幼名は助之進、元服して師克(もろかつ)、のちに素行(もとゆき)と改めた。俳号の「鳴雪」は「何事も成行きに任す」の当て字であるという。8歳の時から父に漢籍を教わり、また草双紙類を好み、寄席や義太夫も知った。安政2年(1855年)には安政の大地震で被災したが、屋敷内関係者全員が無事であった。

安政4年(1857年)、11歳の時に父の転勤で松山に移り、藩校明教館で漢学を学び、剣術も習ったが「武」よりは「文」に優れた。文久3年(1863年)に元服して師克を名乗り、幹部の卵として明教館に寄宿し、大原武右衛門(大原観山、正岡子規の母方の祖父)に漢詩を学んだ。慶応元年(1865年)には藩主の嗣子松平定昭の小姓となり、長州征伐に従った。明治元年(1868年)に京都に遊学し、翌明治2年(1869年)には東京に出て昌平黌に学んだ。

明治3年(1870年)から藩政に参画し、権少参事学校掛として明教館の刷新などに携わった。明治5年(1872年)には石鉄県学区取締役に就任し、小学校・中学校の拡充に努めた。明治8年(1875年)には県令岩村高俊に抜擢されて愛媛県学務課長となり、明治9年(1876年)には松山に師範学校を設立し、草間時福を招いて愛媛県変則中学校を設立するなど、県内の教育行政に尽力した。

明治13年(1880年)7月、33歳の時に文部省に転任し、累進して明治19年(1886年)には書記官・往復課長となった。明治22年(1889年)には常盤会寄宿舎監督となり、ここで正岡子規と知り合うこととなる。明治24年(1891年)4月、文部大臣森有礼の暗殺を機に退官した。「二君には仕え申さぬ紙衣かな」はその心境を詠んだものである。その後も常盤会寄宿舎監督を続け、明治40年(1907年)に秋山好古に譲った。

大正14年(1925年)に肋膜炎を病み、軽い脳溢血で臥床し、翌大正15年(1926年)2月20日、麻布笄町(現在の西麻布四丁目)の自宅で80歳で永眠した。法号は天真院鳴雪素行居士。故人が大正8年(1919年)に青山霊園に設けた墓所に葬られた。

俳句歴

鳴雪は明治25年(1892年)、46歳の時に、21歳年下の正岡子規を俳句の師とした。常盤会寄宿舎の寄宿生であった子規・竹村黄塔・その弟の河東碧梧桐・五百木瓢亭・勝田主計らに、漢詩の添削をしてやっていたが、逆に子規に俳句を学ぶこととなったのである。子規の紹介で、伊藤松宇らの互選句会「椎の友」に加わった。

俳風は、古典の素養や漢詩の実作体験を通して培われた洒脱尚古(俗気がなく、昔風)な格調高いもので、人柄そのままに恬淡・洒脱であった。鳴雪の号のほか、南塘・破蕉・老梅居も用いた。南塘はもともと漢詩の号であったものを当初の句に用いたもので、松山南郊の石手川に由来する。

明治30年(1897年)、50歳の時には、高浜虚子が東京で続刊したホトトギスの投句選者となり、『老梅居雑話』ほかを掲載した。また、万朝報・読売新聞・中外商業新報・日本人・日本及日本人・太陽などの俳句選者を輪番的に勤めた。

子規、碧梧桐、虚子らとの蕪村句集輪講は、知られていなかった与謝蕪村の句集を探し合い、輪講してホトトギスに掲載したもので、子規逝去1週間前の9月まで54回続き、貴重な文献となった。上梓されたのが『蕪村句集講義』である。鳴雪は博覧な人物であったが、資料を揃えて輪講にのぞもうとしたところ、「月並みなことは止めておきましょう」と子規に言われ手ぶらで講義に臨んだという。このため同著について誉められると若干の後悔も残ったとされる。

その他の特記事項

鳴雪は明治40年(1907年)に舎監をやめた後も、寮の世話役でいた。愛媛県教育協会の名誉会員を勤め、また、史談会の中心にもなり、旧藩主久松伯爵家の嘱託として史料編纂に従事した。

大正6年(1917年)、70歳の時には、旧寮生の発議による寿碑「元日や一系の天子不二の山」が松山市道後公園に建ち、その除幕式に招かれた。その前には、東京で祝賀の演能が催され、『自然居士』のシテを高浜虚子が、ワキを河東碧梧桐が舞った。

著書には『俳句独習』(明治37年)、『春夏芭蕉俳句評釈』『秋冬芭蕉俳句評釈』(明治37年)、『七部集俳句評釈』(明治38年)、『元禄二十家俳句講義』『春夏蕪村七部集俳句評釈』『秋冬蕪村七部集俳句評釈』(明治39年)、『老梅居俳句問答』『老梅居雑著』『鳴雪俳話』(明治40年)、『鳴雪句集』『俳句作法』『鳴雪俳話と評釈』(明治42年)などがある。

明治・大正を通じての代表的俳句作者として活躍し、国民的俳人として親しまれた。また、芝居好きでもあり、幼少期から若党に芝居・寄席・義太夫へ連れられ、その後も長く芝居好きであった。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
内藤鳴雪 -- 愛媛県生涯学習センター 内藤鳴雪 -- Wikipedia 内藤鳴雪『内藤鳴雪書簡』 -- 関西学院大学図書館

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別名師克(もろかつ) 素行(もとゆき)
幼名助之進
生没1847 〜 1926

基準
向き
件数

現在、33句の俳句が登録されています。

    • 矢車 やぐるま
      季節: 夏(初夏) 分類: 人事(生活)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.124
    • 八朔 はっさく
      季節: 秋(仲秋) 分類: 時候(暦)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.22
    • 穭田 ひつじだ
      季節: 秋(晩秋) 分類: 地理(田畑)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 秋
      p.52
    • 冬野 ふゆの
      季節: 冬(三冬) 分類: 地理(山野)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.53
    • 朝賀 ちょうが
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(行事)
    • 平凡社 俳句歳時記 新年
      p.42