生涯
廣瀬直人(ひろせ なおと)は山梨県一宮町(現笛吹市)に生まれた。本名は直瀬である。東京高等師範学校を卒業後、郷里で高校教師として務めた。
晩年に脳梗塞で倒れ、それ以降は俳壇に姿を見せなくなった。肺炎のため死去、88歳であった。夫人は廣瀬町子で、「白露」同人、のちに「郭公」同人となった。
俳句歴
祖父の影響で句作を始め、1948年に「雲母」に入会し、飯田蛇笏に師事した。1961年に「雲母」同人となり、1968年には第4回山蘆賞を受賞した。蛇笏の没後は飯田龍太に師事し、龍太の直系として知られた。
1992年に「雲母」が廃刊となった後、翌1993年にその後継誌として「白露」を創刊し主宰した。一貫して自然と生活を主題として句作した。師・龍太の伝統に従い、どの俳句協会にも属さなかった。
廣瀬は甲斐という土地に定住し、郷土への思いを季語に託して詠んだ。第一句集『帰路』では甲斐国一之宮浅間神社の祭礼である春祭を詠み、「季語を通しての人との関わり」を重要視する姿勢を示した。俳句の景自体に人の姿は描かれていないが、確かにそこには人の存在が感じられる作風であった。
『俳句実作入門』では「実作の場面でいつも心にかけていたいのは、季語を単なる眼前の素材としてでなく、たとえば、その季語を通しての人との関わり、また歳月の流れの中で見つづけていることではなかろうか」と述べ、自身の俳句観を示した。
NHK松山の俳句番組に出演したほか、「俳句界」山本健吉賞の選考委員も務めた。また、福田甲子雄とともに『飯田龍太全集』(2005年、角川書店)を監修した。
その他の特記事項
2008年に句集『風の空』で第43回蛇笏賞と第1回小野市詩歌文学賞を受賞した。
主な著書に、句集『帰路』『日の鳥』『矢竹』『遍照』『風の空』『廣瀬直人全句集』のほか、『飯田竜太の俳句』『俳句実作入門』『飯田龍太の風土』『より深い作句をめざして 俳句上達講座』『作句の現場 蛇笏に学ぶ作句法』『視野遠近』などがある。
「白露」は終刊し、その後継誌として「郭公」が井上康明によって主宰されている。