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二唐空々 (にがら くうくう)

俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人・教育者。青森県弘前市生まれ。増田手古奈・石田波郷に師事し、俳誌「十和田」の編集と青森県俳壇の指導的立場を担った。

生涯

1910年(明治43年)2月12日、青森県弘前市に生まれた。本名は唯七。1928年(昭和3年)、青森師範学校本科二部を卒業後、小学校訓導・教諭を経て、青森市立中央高等学校教頭に就いた。1970年(昭和45年)に定年退職後は私立東奥女子高校に勤務した。生涯教壇に立ち続けた。1982年(昭和57年)4月8日に死去。享年72。

俳句歴

1933年(昭和8年)、浪岡小学校勤務中に及川朶々・矢野蓬矢の勧めにより作句を始めた。主として俳誌「十和田」および「鶴」に投句し、増田手古奈(ますだてごな)・石田波郷(いしだはきょう)に師事した。その間、「ホトトギス」・山口青邨の「夏草」・富安風生の「若葉」にも投句した。

1950年(昭和25年)から1957年(昭和32年)まで「十和田」の編集に従事した。1967年(昭和42年)、青森市立中央高校に俳句結社「満天星(どうだん)」を創立・主宰し、以後毎年合同句集『満天星』を発行した。1973年(昭和48年)、「十和田」500号にあたり功労賞(小島喜草賞)を受けた。「十和田」および「鶴」の同人であり、青森県俳句懇話会副会長・青森市俳句連盟会長・俳人協会員を務めた。

また「十和田」に「漱石と俳句」「数と俳句」などの随筆を連載し、「鶴」にも随筆を発表した。

没後の1983年(昭和58年)、句集『二唐空々句集』が刊行された。昭和10年から47年間、句を欠いた年がなかったことは特筆される。

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参考にさせていただいたWebサイト様
二唐空々 -- 青森県立図書館 青森県近代文学館

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

生没1910 〜 1982
出身地青森県弘前市

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