八木三日女 (やぎ みかじょ)
俳人の説明
管理人による説明
生涯
1924年(大正13年)7月6日、大阪府堺市に生まれる。本名は下山ミチ子。大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)を卒業し、眼科医(医学博士)として活動した。在学中、澁谷道らとともに学生俳句会に参加し、1945年(昭和20年)、21歳のとき鈴木野風呂の「京鹿子」に投句を始めた。同年、同医専に精神科教授として赴任した平畑静塔に師事し、俳句を本格的に始め、その後の作風は平畑の影響を強く受けたとされる。2014年(平成26年)2月19日、89歳で死去した。
俳句歴
「激浪」「雷光」「梟」「夜盗派」「縄」を経て、1965年、「海程」同人となった。前年の1964年には同人誌「花」を創刊し、代表を務めた。鋭敏な感性による独自の抽象的・エロス的世界を展開し、戦後、前衛俳句の女性旗手として注目され、関西前衛俳句を代表する女性俳人と目された。
代表作として広く知られるのが、句集『赤い地図』(1963年)に収められた「満開の森の陰部の鰓呼吸」である。多くの読者はこの句を、女性の性そのものを大胆に詠んだ作品として受け止めたが、八木自身は雑誌「俳句」(昭和36年8月号)にて、近郊の水族館を訪れた際、丘を覆う満開の桜の森を眺め、続いて水槽の魚が鰓呼吸する様をじっと見つめた実体験に着想を得たものであると自句自解しており、作者の説明と読者の受け止め方の間に大きな乖離が生じたことで知られる。
句集に『紅茸』(1956年5月、梟の会)、『赤い地図』(1963年5月、縄の会)、『八木三日女句集』(1973年9月、海程社)、『落葉期』(1974年10月、牧羊社)、『石柱の賦』(1985年3月、現代俳句協会)、『私語』、『八木三日女全句集』(2006年11月、沖積舎)がある。
その他の特記事項
同郷の歌人・与謝野晶子に傾倒し、1982年、「晶子をうたう会」を結成して代表世話人を務めた。二人の息子はともに東大学生俳句会に所属した経験を持ち、長男の下山芳晴は元裁判官、次男の下山晃(俳号:志波響太郎)は大阪商業大学教授で、『八木三日女全句集』の解説を執筆した。
claude sonnet 5 による自動生成です。
参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- せいとうき ゆびにざらざら われもこう
-
静塔忌
せいとうき
季節: 秋(仲秋) 分類: 宗教(忌日) -
新版 角川俳句大歳時記 秋p.409