中尾杏子 (なかお きょうこ)
俳人の説明
管理人による説明
生涯
1925年(大正14年)、長崎市に生まれる。本名は恭子。1945年(昭和20年)、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)理科を、終戦により9月に繰り上げ卒業し、教員となった。2010年、死去した。
俳句歴
1953年(昭和28年)、俳誌「棕櫚」に入会し、下村ひろしに師事した。俳号を杏子とした。1954年(昭和29年)、水原秋櫻子主宰の俳誌「馬酔木」にも入会した。1966年(昭和41年)、「棕櫚」同人となり、以後8年間、同誌の編集長を務めた。1971年(昭和46年)、社団法人俳人協会会員となる。1972年(昭和47年)、俳誌「沖」に入会し、のちに「沖長崎」にも所属した。
第六句集『風媒花』は、「花の雫」「春の潮」「蝶生づる」「千代紙」「惜命」の5章と、エッセイ「風媒花」「風媒花以前」から構成されている。
claude sonnet 5 による自動生成です。
参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- ひしのみの かどむらさきに はくしゅうき
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白秋忌
はくしゅうき
季節: 秋(晩秋) 分類: 宗教(忌日) -
新版 角川俳句大歳時記 秋p.416