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俳人の説明

管理人による説明

大正から平成にかけて活躍した俳人。久保田万太郎・安住敦に師事し、俳誌「春燈」の主宰として俳壇で活躍した。

生涯と俳句歴

成瀬櫻桃子は1925年(大正14年)11月25日、岐阜県岩村町に生まれた。本名は冨造である。旧制横浜高等工業学校(現在の横浜国立大学工学部)を卒業し、工学の素養を持ちながらも俳句の道を歩んだ人物である。

1940年(昭和15年)より句作を開始し、最初は水原秋櫻子が主宰する「馬酔木」や加藤楸邨が主宰する「寒雷」に投句していた。1946年(昭和21年)、戦後の混乱期に「春燈」の創刊に参加し、久保田万太郎に師事することとなる。久保田万太郎は劇作家・小説家としても知られる文人俳人であり、成瀬はその薫陶を受けて俳句の研鑽を積んだ。

1963年(昭和38年)に万太郎が死去すると、成瀬は安住敦の指導を受けるようになった。安住敦もまた「春燈」を継承した俳人であり、成瀬は師の後を継ぐべく研鑽を続けた。1988年(昭和63年)、安住敦の死去に伴い、成瀬は「春燈」の主宰を継承し、以後、同誌を率いて俳壇における活動を展開した。

成瀬の俳句は、祈りを境地とする作風として知られる。師である久保田万太郎の都会的で洗練された俳風を受け継ぎつつも、独自の精神性を追求した作品を多く残した。2004年(平成16年)12月14日、79歳で死去した。

その他の特記事項

成瀬櫻桃子は作家としても顕著な業績を残している。1973年(昭和48年)に句集『風色』を刊行し、同作により第13回俳人協会賞を受賞した。この句集は処女句集シリーズとして牧羊社から出版され、成瀬の俳人としての地位を確立する契機となった。その後、『素心』などの句集を発表し、作家活動を継続した。

また、成瀬は俳句評論の分野でも重要な業績を残している。1995年に刊行した『久保田万太郎の俳句』は、師である久保田万太郎の俳句を詳細に分析した労作であり、1996年(平成8年)に俳人協会評論賞を受賞した。この著作は後に講談社文芸文庫にも収録され、万太郎研究の基本文献として広く読まれている。

編著としては『こでまり抄 久保田万太郎句集』や『安住敦の世界』などがあり、二人の師の作品を後世に伝える役割を果たした。著作には『わが愛する俳人』などもあり、俳句への深い造詣と愛情を示している。

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参考にさせていただいたWebサイト様
成瀬櫻桃子 -- Wikipedia 成瀬桜桃子(なるせ おうとうし)とは? 意味や使い方 -- コトバンク

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名冨造
別名桜桃子
生没1925 〜 2004
出身地岐阜県恵那市岩村町
出身地(旧地名)岐阜県岩村町

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