山本西武 (やまもと さいむ)
俳人の説明
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生涯
山本西武(やまもと さいむ)は、1610年(慶長15年)、京都に生まれた。通称は九郎左衛門。号は他に無外軒・風外軒・風外斎を用いた。
生家は元神官で壬生に屋敷を持ち、数代居住したという。西武自身は綿商人を営んだ。
1616年(元和2年)、7歳にして松永貞徳の私塾に入り、1620年(元和6年)から俳諧を始めた。1629年(寛永6年)、20歳にして俳諧の亭主を務め、初めての式正の会を執り行った。貞徳から秘伝書を伝授され、1642年(寛永19年)には『鷹筑波集』の編集や式目書『久流留』を刊行した。
1653年(承応2年)の貞徳死後、安原貞室と後継者を争った。その後も貞門の古老として古風な俳風を守り続けた。
1682年4月19日(天和2年3月12日)に死去した。没年については、1678年(延宝6年)説、1682年(天和2年)説、1685年(貞享2年)説など諸説あるが、『貞徳永代記』の記述から1682年(天和2年)が妥当とされる。辞世は「夜の明て花にひらくや浄土門」である。
俳句歴と句会発祥
1629年(寛永6年)11月の末、西武は妙満寺で「雪の会」と称する俳諧の席を催した。時の妙満寺塔頭成就院住職・日恕上人が貞徳の門下であったこともあり、この会が実現した。このときの式法が後の句会の基本となったとされており、妙満寺は句会発祥の地であるといえる。
西武は20歳で俳諧の亭主を務めて初めての式正の会を執り行い、松永貞徳から秘伝書を伝授された。1642年(寛永19年)には『鷹筑波集』の編集や式目書『久流留』を刊行し、貞門俳諧の体系化に貢献した。
師・貞徳の死後は安原貞室と後継者を争ったが、その後も貞門の古老として古風な俳風を守り続け、貞門俳諧の伝統を次世代に伝える役割を果たした。
その他の特記事項
西武の門下には椎本才麿がおり、才麿は西武の一字をもらって則武と号した。才麿は後に井原西鶴に師事し、さらに松尾芭蕉や蕉門との交流も深めるなど、西武門から多様な俳風を経験した俳人を輩出している。
西武は句会の式法を確立した功績により、日本の俳諧史において重要な位置を占める俳人である。貞門の古風な俳風を守りながらも、句会という俳諧の新しい形式を確立したことは、後世の俳諧・俳句の発展に大きな影響を与えた。
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バイオ
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- おもいねん のこらんつきの はつかかな
-
更待月
ふけまちづき
季節: 秋(仲秋) 分類: 天文(天空) -
平凡社 俳句歳時記 秋p.86