松永貞徳 (まつなが ていとく)
俳人の説明
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生涯
松永貞徳(まつなが ていとく)は、元亀2年(1571年)、京都(三条衣棚)に生まれた。名は勝熊。別号は長頭丸(ちょうずまる)、逍遊軒(しょうゆうけん)、延陀丸(えんだまる)、保童坊、松友など多くの号を持った。他に五条の翁、花咲の翁とも称し、明心居士の号もある。連歌師・松永永種の次男である。子は朱子学者の松永尺五。
若くして源氏、歌学、有職などを学び、連歌師・里村紹巴から連歌を、九条稙通や細川幽斎から和歌、歌学を学ぶほかに、五十数人に師事したという。青年期には細川幽斎の門下で当代の名家と親交を深めた。20歳頃に豊臣秀吉の右筆となり、木下勝俊(長嘯子)を友とした。
慶長2年(1597年)、花咲翁の称を朝廷から賜り、あわせて俳諧宗匠の免許を許され、「花の本」の号を賜った。徳川政権に移行後は京都で私塾を持ち、元和元年(1615年)私塾を開いて俳諧の指導に当たった。私塾は寛永12年(1635年)頃まで続けられた。承応2年11月15日(1654年1月3日)に死去した。墓所は京都市南区の上鳥羽実相寺である。
俳句歴
松永貞徳は、寛永初年の俳諧の流行時にその指導者となり、貞門俳壇の中心に身を置いた。貞門派俳諧の祖として一大流派をなし、多くの逸材を輩出した。京には松江重頼、安原貞室らがあり、江戸には徳元、玄札らが活躍した。寛永期(1630年代)から談林風の流行する寛文・延宝期(1660~70年代)までの約半世紀間、貞門は全盛を誇った。
貞徳は俳諧を連歌・和歌への入門段階にあると考え、俗語・漢語などの俳言(はいごん)を用いるべきと主張した。俗語に文学的市民権を与えた最初の発言として革命的であったといえる。貞徳の俳風は言語遊戯の域を脱しないとされるが、「言い捨て」の俳諧を新たな庶民文芸へと転換させた功績がある。
家集に『逍遊集』、著作に『新増犬筑波集』『俳諧御傘』『慰草』『前車集』『戴恩記』などがある。『歌林樸』などの歌学・辞書、『貞徳狂歌百首』などの狂歌集も残している。
貞徳が最も意を労したのは、『新増犬筑波集』にみられるような室町俳諧の蕪雑さの克服と、『御傘』などによる俳諧式目の制定であった。秘伝の多くを一般に公開した点にその功績が認められる。
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バイオ
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山椒の皮
さんしょうのかわ
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礼者
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仏の座
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