阿部小壺 (あべ しょうこ)
俳人の説明
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生涯
阿部小壺(あべしょうこ)は、1909年(明治42年)に熊本市で生まれた俳人である。本名は阿部次郎。評論家の阿部次郎とよく間違えられたという。
造り酒屋の家に生まれ、味噌・醤油醸造の家業に携わった。18歳で日本画家の福島峰雲に絵を習い、同じく峰雲に学んだ日本画家の堅山南風とは兄弟弟子であった。
熊本市議会議員を4期務め、48歳で熊本市教育委員長、54歳で熊本市議会議長となった。59歳で熊本信用金庫の理事長に就任し、熊本ロータリークラブの会長(1971〜1972年度)も務めた。70歳で紺綬褒章を受け、1979年(昭和54年)に熊日賞、翌1980年(昭和55年)に勲五等双光旭日章を受けている。1981年(昭和56年)10月26日、72歳で急逝した。
俳句歴
20歳から俳句を始めた。「ホトトギス」の同人であり、高浜虚子を敬って、その唱えた「花鳥諷詠」の道を歩んだ。
戦後まもない1946年(昭和21年)、俳誌「阿蘇」を復刊して主宰となり、横井迦南を雑詠の選者に迎えた。1953年(昭和28年)2月に迦南が亡くなると田邊夕陽斜を選者に迎え、1981年まで「阿蘇」の発展に尽くした。小壺と夕陽斜は「阿蘇」の車の両輪と呼ばれ、ホトトギスに投句する句についても夕陽斜の選を仰ぐほどの信頼関係であった。市政や経済の仕事で多忙ななかでも、時間を惜しんで弟子たちの指導にあたった。
熊本県内に虚子の句碑を10基建てることを夢とし、その9基目は熊本信用金庫の理事長室の脇に建てられた。
その他の特記事項
熊本市の上江津湖の芭蕉園入口と、御船町の七滝神社参道に小壺の句碑が建っている。七滝はたびたび句会を開いた地である。晩年には、若いころに学んだ日本画の素養を生かした俳画を楽しんで描いた。没後も弟子たちによって小壺忌が営まれ、生誕百年の際には高弟たちが記念の冊子をつくっている。
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参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- らくししゃは たばこぼんにも かきおちば
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柿落葉
かきおちば
季節: 冬(初冬) 分類: 植物(ツツジ目) -
新版 角川俳句大歳時記 冬p.636