優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

昭和から平成にかけて活躍した俳人。藤田湘子に師事し、緊張感のある作品世界と明晰な俳句評論で後続の女性俳人に大きな影響を与えた。

生涯

飯島晴子は大正10年(1921年)、京都府城陽市(旧・富野荘村長池)に生まれた。旧姓は山本。父の山本清太郎は商社員として長年ニューヨークなどに駐在していた。大正14年、4歳のときに京都市上京区に転居。京都府立京都第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)、田中千代服装学院を卒業後、服飾関係の仕事に従事した。

戦時中は西宮市で罹災し、生地である富野荘村へ疎開して終戦を迎えた。一年後に夫が戦地から復員し、さらに一年後、長女を抱いて神奈川県鵠沼へ転居した。鵠沼時代に藤沢馬酔木句会で俳句と出会うこととなる。

2000年6月6日、逝去。満79歳であった。

俳句歴

1959年、夫の代理で『馬酔木』の俳句会に出席したことをきっかけに、38歳から句作を始める。能村登四郎の指導を受け、1960年より『馬酔木』に投句。1964年、『鷹』創刊より同人となり、代表同人の藤田湘子(のち主宰)を補佐した。1966年、第1回鷹俳句賞を受賞し、以後同結社の代表作家として活躍した。1970年より現代俳句協会会員となる。

句風は、吟行による写生を基本としつつ、言葉によって構築される緊張度の高い作品世界を展開した。藤田湘子は第一句集『蕨手』の序文において、飯島の俳句を「情緒の詩から認識の詩への指向」と評している。句集ごとに新たな境地を見せ、藤田は「女征夷大将軍」と形容するほどの強烈なエネルギーを発散していたと述べている。また飯田龍太は「和して同ぜず」「外柔内剛」と評し、さりげない目配りの奥にいつも確かなおのれを堅持している人物であると述べた。

従来、女性俳人の評論は情緒的とされていた中にあって、明晰・論理的な俳句評論を発表し、後続の女性俳人に大きな影響を与えた。自身の俳句作法について「結局私がこだわるのは言葉だけである。俳句という特殊な詩形にのせて、言葉を詩の言葉としていかに機能よく働かせるかという興味である」と述べている。

1997年、第六句集『儚々(ぼうぼう)』により第31回蛇笏賞を受賞。受賞に際しては「遅く始めて、年をとって、体力不足でもそれなりの境地が在るということを、審査員の先生方はじめ皆様から私が教えて頂きました」との言葉を残している。

句集に『蕨手』『朱田』『春の蔵』『八頭』『寒晴』『儚々』、遺句集『平日』があり、評論集に『葦の中で』『俳句発見』がある。

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参考にさせていただいたWebサイト様
俳人・飯島晴子のこと -- 木村草弥(Doblogから再録) 飯島晴子 -- Wikipedia 『儚々』(角川書店刊)|第31回(1997年)|顕彰事業 -- 公益財団法人 角川文化振興財団

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

生没1921 〜 2000

現在、19句の俳句が登録されています。

    • 夏果 なつはて
      季節: 夏(晩夏) 分類: 時候(感覚)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 夏
      p.34
    • 猪 いのしし
      季節: 秋(三秋) 分類: 動物(哺乳類)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 秋
      p.108
    • 凍蝶 いてちょう
      季節: 冬(晩冬) 分類: 動物(昆虫等)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.188