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俳人の説明

管理人による説明

大正から昭和時代前期にかけて活躍した俳人。渡辺水巴に学び、俳書堂に入り「俳諧雑誌」の編集に携わった。のちに春灯派の俳人である妻湖代と東京銀座で料亭「はせ川」を経営した。

生涯と俳句歴

長谷川春草(はせがわ しゅんそう)は、明治22年(1889年)8月19日、東京に生まれた。本名は金太郎。通称は金之助。

文庫派の詩人であったが、のちに渡辺水巴門下生となり「曲水」に参加した。俳書堂に入り、「俳諧雑誌」の編集に携わった。

同じ渡辺水巴の門下である春灯派の俳人である妻湖代とともに、昭和5年(1930年)から、東京銀座出雲橋畔に小料理屋「出雲橋はせ川」を経営した。

作家、劇作家、俳人の久保田万太郎の知遇を得、久保田万太郎には多くの作家や、文藝春秋を初めとする出版社の客を紹介された。横光利一、井伏鱒二、永井龍男、小林秀雄などが店を訪れた。

昭和9年(1934年)7月11日に死去した。46歳であった。辞世の句は「すずしさや命を聴ける指の先」で、自らの血圧低下を踏まえたものという。

句集に「春草句帖」があり、没後「長谷川春草句集」が刊行された。

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参考にさせていただいたWebサイト様
長谷川春草(ハセガワ シュンソウ)とは? 意味や使い方 -- コトバンク 長谷川春草の生涯 俳句と朗読

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名金太郎
通称金之助
生没1889 〜 1934

現在、6句の俳句が登録されています。

    • 初弁天 はつべんてん
      季節: 新年(新年) 分類: 宗教(仏教)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.88