井上井月 (いのうえ せいげつ)
俳人の説明
管理人による説明
生涯
生年は没年からの逆算で1822年(文政5年)とされる。本名は一説に井上克三といい、柳の家井月、北越漁人とも号した。越後長岡藩の出身と自称し、そのように推測されているが、出生地には諸説があり確定していない。漢学や日本の古典文学の知識を備えていたことから、武家の出身であった可能性も指摘されている。少年期から30代半ばまでの行状はまったく分かっていない。
1858年(安政5年)ごろ、30代後半で突然伊那谷に姿を現し、以後約30年間、死去するまで伊那谷を出ることなく、上伊那を中心に漂泊の生活を送った。家庭も住まいも財産も持たず、羽織袴に無精ひげという浪人風の身なりで、痩せた長身であったという。金銭への執着がなく、得た銭は飲食や紙に使ってしまった。大の酒好きで、酒をふるまわれると「千両千両」と言って喜んだという逸話が多く伝わる。身なりに構わず泥酔することも多かったため、「乞食井月」と呼んで避ける者もいた。
1885年(明治18年)、塩原梅関の計らいで塩原家に入籍し、塩原清助と改名した。1886年(明治19年)12月末ごろ、伊那村で病のため道に倒れているところを発見されて塩原家に運ばれ、看病を受けたが、1887年(明治20年)2月16日(旧暦、新暦3月10日)、66歳で没した。
俳句歴
1852年(嘉永5年)に長野で刊行された追悼集に発句が載り、翌1853年(嘉永6年)には長野の句集『きせ綿』に句が採られるなど、このころから俳人として活動を始めた。
伊那谷は養蚕が盛んで経済的にゆとりがあり、風流を好む土地柄であったため、井月は俳諧の師匠として歓迎された。趣味人たちに発句の手ほどきをし、連句の席を持ち、詩文を揮毫する見返りとして、酒食や宿の接待を受けながら漂泊した。富裕な男性たちに優遇され、門人は1200名以上にのぼり、明治期に活躍した県内外の俳人には井月の門人が多かったという。各地の神社などへの奉納額の揮毫や、句画の合作も行った。1885年(明治18年)秋には句集『余波の水茎』を刊行している。
松尾芭蕉を深く尊敬し、芭蕉の『幻住庵記』を暗記して手本なしに書き上げたほか、芭蕉の句を踏まえた句も作った。生涯に1700余りの句と優れた書を残し、『井月全集』には64篇の連句が収められている。
その他の特記事項
井月は自らの句集をまとめなかったが、没後、下島勲が伊那谷各地に残された書き付けを集め、1921年(大正10年)に『井月の句集』を刊行した。同書には高浜虚子が序句を、芥川龍之介が跋文を寄せ、芥川はその書を「入神」とも評した。1930年(昭和5年)には『井月全集』が編まれ、1974年(昭和49年)の『井上井月全集』は決定版とされる。種田山頭火は『井月全集』を読んで井月を慕い、1939年(昭和14年)に墓参を果たした。このほか、つげ義春の漫画『無能の人』や、2011年(平成23年)の映画『ほかいびと』(主演・田中泯)でも取り上げられている。
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バイオ
現在、4句の俳句が登録されています。
- はつにじや ほあしのおそき のぼりぶね
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春の虹
はるのにじ
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貸小袖
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網代
あじろ
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新版 角川俳句大歳時記 冬p.389