優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

昭和から平成にかけて活躍した俳人。山口青邨に師事し、俳誌「藍生」を創刊主宰した。おかっぱ頭とモンペ姿がトレードマークで知られる。

生涯

黒田杏子(くろだ ももこ)は東京市本郷に生まれた。父は開業医であった。1944年に栃木県に疎開し、高校卒業まで栃木県内で過ごした。栃木県立宇都宮女子高等学校を経て、東京女子大学に進学した。

大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会した。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社し、テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務めた。この間、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持った。博報堂勤務中は10年ほど作句を中断していたが、1970年に青邨に再入門し、俳句活動を再開した。

青邨没後の1990年、俳誌「藍生」を創刊し、主宰として俳壇における活動を展開した。日本経済新聞俳壇選者、日本ペンクラブ会員として活躍し、ドナルド・キーン記念財団の理事も務めた。2023年3月13日、84歳で死去した。

俳句歴

黒田杏子は「季語の現場人」と自ら名付けた姿勢を作句の基本とし、平明な表現で季語を生かす句風を特徴とする。結社活動も含め俳人として精力的な活動を行い、おかっぱ頭、モンペ姿のトレードマークで親しまれた。女流では宇多喜代子らと並び称される存在である。

1981年、第一句集『木の椅子』により現代俳句女流賞と俳人協会新人賞を受賞した。第三句集『一木一草』では俳人協会賞を受賞し、2020年には現代俳句大賞を受賞するなど、数々の賞を受けた。

句作を再開した1970年から同時に「日本列島桜花巡礼」を発心し、30年かけて全国の桜を巡り、「桜」の俳人としても知られるようになった。NHKテレビやラジオ、新聞、雑誌でも多岐にわたり活躍し、「季語の現場」を訪ねて歩く行動的俳人として知られた。

横澤放川は黒田について「社会に対する関心と洞察が黒田さんの俳人としての生涯を貫いていた。作句が、種々の社会と連携した活動と一体になっていた感がある」と評している。

その他の特記事項

主な句集として『木の椅子』『一木一草』『水の扉』などがある。著作には『俳句と出会う』『黒田杏子歳時記』『季語の記憶』『布の歳時記』『暮らしの歳時記 未来への記憶』『手紙歳時記』『証言・昭和の俳句』など多数がある。また『花鳥俳句歳時記』『四国遍路吟行』などの編著作品も刊行している。

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参考にさせていただいたWebサイト様
黒田 杏子 -- いすゞ塾 黒田杏子 -- Wikipedia 黒田杏子先生 ご逝去(3月13日)-- ドナルド・キーン記念財団

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別女性
生没1938 〜 2023
出身地東京都文京区本郷
出身地(旧地名)東京市本郷

現在、15句の俳句が登録されています。

    • 春の鴨 はるのかも
      季節: 春(晩春) 分類: 動物(鳥類)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 春
      p.132