優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人。高浜虚子の長男で、虚子の後を継いで「ホトトギス」を主宰した。

生涯

高浜年尾は1900年12月16日、東京市神田区猿楽町に俳人高浜虚子・いと夫妻の長男として生まれた。「年尾」という名は正岡子規の命名によるものである。

開成中学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に進んだ。小樽高商時代は同期に小林多喜二、1期下に伊藤整がおり、全員でフランス語劇に出演したこともあった。卒業後、旭シルクに入社し、のち転勤により兵庫県芦屋に転居した。

1939年、旭シルクを退社し以後俳句に専念し、関西の俳壇の中心として活躍した。少年のころから父虚子とともにたびたび松山を訪れていたが、虚子没後もほぼ毎年、墓参りと俳句の指導のため松山を訪れた。

1979年10月26日死去、78歳であった。死後、「ホトトギス」主宰は次女の稲畑汀子に引き継がれた。

俳句歴

句作は父虚子の手ほどきを受けて中学時代から始めていた。中学時代より虚子が運営していた「ホトトギス発行所」に出入りし、多くの俳人と交流していたことから自然に俳句を学び、13歳で俳誌「ホトトギス」に俳句を投稿していた。旭シルク勤務時代には一時句作を中断した。

1938年、俳誌「俳諧」を創刊し、連句を始めた。「俳諧」は俳句、連句、俳文、俳詩、俳論などのほか俳句の英・仏・独訳を載せるなど意欲的な俳誌であった。1944年、戦時下の物資不足のため「俳諧」を「ホトトギス」に合併させた。

1951年、「ホトトギス」雑詠選者となった。1959年には朝日俳壇および愛媛俳壇選者に就任し、同年、父虚子より「ホトトギス」主宰を継承した。子規顕彰全国俳句大会には主選者として参加するとともに、長く「愛媛俳壇」選者を務めた。

その他の特記事項

句集に『年尾句集』があり、著書に『俳諧手引』などがある。年尾の俳句は平明な写生句を詠むと言われるが、一瞬を詠むのではなく、深い普遍的な真実を感じさせる作風であった。虚子が教える客観描写の手法を継承し、的確な描写によって穏やかな心のありようを表現した。

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参考にさせていただいたWebサイト様
高浜年尾 -- Wikipedia 第三百五十夜 高浜年尾の「霧」の句 -- 今夜の一句 高浜年尾(1900~1979) -- データベース『えひめの記憶』

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
生没1900 〜 1979
出身地東京都神田区

現在、22句の俳句が登録されています。

    • 紅蜀葵 こうしょくき
      季節: 夏(晩夏) 分類: 植物(アオイ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.225
    • 万両 まんりょう
      季節: 冬(晩冬) 分類: 植物(ツツジ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.210