優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

江戸時代後期の俳人。桜井梅室・成田蒼虬とともに天保三大家の一人に数えられた。文化8年(1811年)刊行の『芭蕉葉ぶね』で真正芭蕉風を唱えた。野心家で統率力にたけ、大名や多くの貴顕をも門下に擁し、江戸有数の俳諧宗匠となった。天保14年(1843年)の芭蕉150回忌に二条家に請願し、芭蕉に「花下大明神」の号を授与するように尽力し、自らも「花下翁」(花の本翁)の称号を受けた。

生涯と俳句歴

田川鳳朗(たがわ ほうろう)は、宝暦12年(1762年)、肥後国(現・熊本県)で生まれた。本名は厳島義長。通称は東源。初号は京陵。対竹、鶯笠(鶯竹)、自然堂、藍蓼庵、芭蕉楼などと号した。

12歳頃に俳諧を志し、父の鼎石(鼎山)や武久綺石の指導を受け、蝶夢や久村暁台にも拝謁したという。

寛政10年(1798年)、熊本藩士を致仕し、各地を遊歴した。

江戸に出て鈴木道彦に従って鳳朗と改めた。文化13年(1816年)、江戸に庵を結び、小林一茶の庇護者であった夏目成美や鈴木道彦と親しく交わった。

翌文化14年(1817年)、『芭蕉葉ぶね』を刊行して、真正芭蕉風を唱えた。文政2年(1819年)、江戸有数の俳諧宗匠となる。

文政11年(1828年)、大坂の鶴峯戊申に従学した後、天保初期に江戸に帰った。

桜井梅室、成田蒼虬とともに天保三大家の一人(天保の三宗匠)とも呼ばれる。野心家で統率力にたけ、大名や多くの貴顕をも門下に擁した。

天保14年(1843年)、芭蕉百五十年忌に際して、二条家が芭蕉に「花下大明神」の号を授与するように尽力し、自らも「花下翁」(花の本翁)の称号を授けられた。

弘化2年11月28日(1845年12月26日)に死去した。辞世は「からになる無常もありて蝸牛」。

『芭蕉葉ぶね』で芭蕉の人格を目ざす俳諧を提唱した。作品はやや詩情を欠き、理屈や小主観に堕して俗臭をとどめるが、かえってそれが江戸趣味の気風に通い、大衆に迎えられた。

著作に『芭蕉葉ぶね』(文化8年刊)、『蕉門俳諧師説録』(文政8年序、文久2年刊)、『自然堂千句』(天保6年刊)、『鳳朗発句集』などがある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
田川鳳朗 -- Wikipedia 鳳朗(ほうろう)とは? 意味や使い方 -- コトバンク 田川鳳朗 -- インターネット俳句

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名厳島義長
別号対竹 鶯笠 自然堂 藍蓼庵 京陵
通称東源
生没1762 〜 1845

現在、6句の俳句が登録されています。

    • 菘 すずな
      季節: 新年(新年) 分類: 植物(アブラナ目)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.98