優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から平成にかけて活躍した俳人。高浜虚子に師事し、俳誌「年輪」を主宰した。鷹を詠んだ秀句が多く「鷹の鶏二」として知られる。

生涯

橋本鶏二(はしもと けいじ)は明治40年(1907年)11月25日、三重県伊賀市(旧上野市)小田に生まれた。本名は秀雄である。病弱であったため学校にはほとんど行かず、高等小学校を卒業した。十代より文学に親しみ、若くして両親を失い、俳句に傾倒した。15歳から16歳頃、近所の子供を集め謄写版で俳句冊子を作った。

大正14年(1925年)に高浜虚子に師事し『ホトトギス』に投句した。昭和19年(1944年)には長谷川素逝に兄事した。昭和21年(1946年)に「桐の葉」を復刊し、のち「桐の花」、続いて「鷹」と改題した。昭和24年(1949年)には「牡丹」と合併して「雪」を主宰した。

昭和25年(1950年)頃より旅を日常とし、自然との出会いの中に新しい自らの生命を求めて、掴んだものが形象をなすまで心を攻める激しい修行者のごとき生活を送った。昭和30年(1955年)より25年間、名古屋市に居住した。昭和32年(1957年)、俳誌「年輪」を創刊主宰し、「自然とそして謙虚な客観写生の律調がより渾然とし、より醇乎たる境地に生育することを望む」と発刊の意図を記した。昭和33年(1958年)、波多野爽波、野見山朱鳥、福田蓼汀と四誌連合会を結成し、伝統俳句に新風を起こした。

昭和55年(1980年)に三重県伊賀市に帰住し、松尾芭蕉生家と遺髪塚のほとりに住んだ。昭和59年(1984年)、句集「鷹の胸」で俳人協会賞を受賞した。平成2年(1990年)10月2日に死去した。俳人協会元顧問、三重県民功労者であった。

俳句歴

昭和18年(1943年)、『ホトトギス』6月号で初めて巻頭を飾った。昭和20年(1945年)、同誌3月号の巻頭句「鳥のうちの鷹に生まれし汝かな」は高い評価を受け、鷹を詠んだ秀句が多いことから「鷹の鶏二」として知られるようになった。

清雅温厚な中に、対象を透徹した眼でとらえ表現した「詠み込んだ写生」の句によって伝統俳句に新境地を開いた。その作句の姿勢は、「雪月花彫りてぞ詠ふ」という自身の俳句創作理念に示される。詩人の大岡信は鶏二の句について「虚子の写生説を徹底して信奉する一方で、言葉そのものの美を求道者のように追求し、独自の作風を築いた」と紹介した。

「花鳥諷詠の真の意義は、具象化されたる心象の表白にある」と述べ、また「俳句は言葉による彫刻である」とも述べている。虚子の唱える客観写生からはなれて「主観」の色合いを濃くしていった。

句集に『年輪』『松囃子』『山旅波旅』『朱』『聖顔』『汝鷹』『鳥欅』『花袱紗』『二つを一つのごとく』『鷹の胸』『欅』『橋本鶏二全句集』『続・橋本鶏二全句集』などがある。俳論に『俳句実作者の言葉』『素逝研究・砲車編』『写生片言』『消息』『随筆歳時記』などがある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
写生とは何か。 -- ふらんす堂編集日記 橋本鶏二 -- Wikipedia 橋本鶏二 -- コトバンク

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

生没1907 〜 1990

現在、18句の俳句が登録されています。

    • 菊枕 きくまくら
      季節: 秋(晩秋) 分類: 人事(生活)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.71
    • 石炭 せきたん
      季節: 冬(三冬) 分類: 人事(生活)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.105
    • 胼 ひび
      季節: 冬(三冬) 分類: 人事(健康)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.133