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俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人・医師。水原秋櫻子に師事し、馬酔木高原派と呼ばれた。

生涯

相馬遷子(そうま せんし)は明治41年(1908年)10月15日、長野県佐久市に生まれた。本名は富雄である。昭和7年(1932年)に東京帝国大学医学部を卒業し、医学博士となった。

昭和15年(1940年)に応召したが、昭和18年(1943年)に戦病のため除隊し、同年市立函館病院内科医長に赴任した。昭和21年(1946年)、故郷の長野県佐久市に医院を開業した。昭和51年(1976年)1月19日、佐久病院で死去した。68歳没であった。

俳句歴

昭和10年(1935年)、卯月会に入り、水原秋櫻子の指導を受けた。昭和13年(1938年)に「鶴」同人となり、石田波郷に兄事した。昭和14年(1939年)に「馬酔木」新人賞を受賞し、昭和15年(1940年)より「馬酔木」同人となった。昭和20年(1945年)より同人会長を務めた。

昭和13年(1938年)に斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版した。故郷の自然を詠み、堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれた。山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。

昭和32年(1957年)に馬酔木賞、昭和40年(1965年)に馬酔木功労賞、昭和44年(1969年)に句集『雪嶺』で第9回俳人協会賞、昭和50年(1975年)に葛飾賞を受賞した。

句集に『草枕』(1946年)、『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。共同句文集に『自然讃歌』がある。

医師として冷徹な目を持ち、科学者と文学者という一見正反対の立場を結び付けた。患者や身内の病気・死に対しても自分のそれに対しても冷徹な姿勢を保ち、極めて科学者的な目を持った俳人であった。

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参考にさせていただいたWebサイト様
相馬遷子 -- Wikipedia 相馬遷子 -- コトバンク 戦後俳句史を読む (22 – 2)- 相馬遷子を通して戦後俳句史を読む(5)‐ -- 俳句空間

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名富雄
生没1908 〜 1976

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