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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代中期から後期にかけて活躍した俳人・儒者。与謝蕪村・炭太祇らと交わり、元禄期俳諧への復帰を唱えて京都俳壇革新の先駆となった。

生涯

三宅嘯山(みやけしょうざん)は、享保3年(1718年)3月25日、京都に生まれた。本名は三宅芳隆、字は之元・文中、号は葎亭(りってい)・滄浪居・橘斎・鴨流軒・碧玉江山人などがある。三宅観瀾・三宅石庵の同族であり、妻は松尾芭蕉門下の俳人・望月木節の孫にあたる。

京都で質商を営むかたわら、漢詩文に長じて仁和寺や青蓮院宮の侍講も務めた学者であった。「質直寡言」「矜厳自持」と評される謹直な人柄で、人々からの信望も厚かったという。

享和元年(1801年)4月14日に没した。享年84。墓所は京都北野の立本寺にある。

俳句歴

嘯山は妻が蕉門の木節の末裔であったことから俳諧に親しみ、寛保元年(1741年)に望月宋屋に俳諧を学んだ。延享2年(1745年)には慧訓和尚に学んでいる。宝暦年間には蝶夢・与謝蕪村・雅因などの俳諧師と知り合い、宝暦5年(1755年)までに俳諧点者として立机したと推定される。

宝暦13年(1763年)、古俳人の佳句を類題別に編集し漢文体の短評を施した『俳諧古選』を刊行し、元禄期俳諧への回帰を唱えて名声を高めた。明和3年(1766年)には炭太祇・随古と歌仙二十巻を興行し、明和6年(1769年)に『平安二十歌仙』を刊行した。安永2年(1773年)には炭太祇とともに『俳諧新選』を刊行している。この二書の総論に嘯山の俳諧論を見ることができ、平明調と高華俊逸調の両立を説いて蕪村などにも影響を与えた。寛政12年(1800年)には自身最大の撰集『独喰』を刊行した。

嘯山は与謝蕪村・炭太祇と親しく交わり、京都俳壇革新の先駆として天明期の中興俳諧の機運醸成に貢献した。

その他の特記事項

嘯山は俳諧のみならず、和漢雅俗のあらゆる分野に通じた文人であった。漢詩に優れ、寛政元年(1789年)には『嘯山詩集』の自筆稿本が成立している。また、芥川丹邱などの影響で中国白話小説にも通じており、宝暦9年(1759年)に『通俗酔菩提全伝』を、後に『通俗大明女仙伝』を刊行した。さらに読本『宿直文(とのいぶみ)』の著作や、『宇治大納言物語』の校訂なども行っている。

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参考にさせていただいたWebサイト様
三宅嘯山 -- Wikipedia 三宅嘯山(ミヤケショウザン)とは? 意味や使い方 -- コトバンク 東京からの来訪者 -- 実相寺

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

本名三宅芳隆
字之元・文中
別号葎亭 滄浪居 橘斎 鴨流軒 碧玉江山人
生没1718 〜 1801

現在、23句の俳句が登録されています。

    • 鰯雲 いわしぐも
      季節: 秋(三秋) 分類: 天文(天空)
    • 虚子編 新歳時記 増訂版
      p.557