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俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人。杉田久女に俳句を学び、山口誓子に師事して本格的に俳句の道へ進んだ。戦後俳壇を代表する女性俳人として活躍した。

生涯

橋本多佳子は1899年(明治32年)1月15日、東京市本郷区龍岡町(現・文京区本郷)に生まれた。本名は多満(たま)、旧姓は山谷である。祖父は箏の山田流家元の山谷清風、父の雄司は官僚、母は津留という。菊坂女子美術学校(のちの女子美術大学)日本画科に入学したが、病弱のため中退している。

1917年(大正6年)、18歳の時に建築家・実業家の橋本豊次郎と結婚した。夫は11歳年上で米国で建築を学んだ開明的な人物であった。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区中井浜)に響灘を一望する丘の上にしゃれた洋館「櫓山荘(ろざんそう)」を建築し、夫婦は小倉に移り住んだ。夫は妻にピアノや茶道の素養を身につけさせ、多くの文化人と交流し、9年に及ぶ滞在で夫婦は小倉の文化サロンの中核的存在となった。当時、小倉に住んでいた10代の松本清張は、「そのころの小倉の町における多佳子さんは、少し大げさにいうと女王的な存在だった」と述懐している。

20歳で小倉にて長女淳子を出産し、22歳で次女国子、24歳で三女啓子を産んだ。1924年(大正13年)には樺太、北海道を北原白秋と共に夫妻で旅行し、同年四女美代子(のちの俳人、橋本美代子)を出産した。

1929年(昭和4年)、30歳の時、豊次郎の父料左衛門の死去にともない一家は大阪・帝塚山に転居した。1935年(昭和10年)5月、豊次郎と上海・杭州に旅行している。1937年(昭和12年)に一家で櫓山荘へ移るが、同年、帰阪後に豊次郎が発病し、9月30日に逝去した。享年51であった。多佳子は38歳で夫を看取ることとなった。1939年(昭和14年)に櫓山荘を手放した。1944年(昭和19年)には奈良市あやめ池に疎開し、以後はそこに住み続けた。

戦後、西東三鬼、平畑静塔、秋元不死男らと出会い、戦後俳壇の女流スターとなっていった。同時期に活躍した中村汀女・星野立子・三橋鷹女とともに四Tと呼ばれた。1963年(昭和38年)5月29日、肝臓、胆嚢癌により死去した。享年64であった。

俳句歴

多佳子と俳句との出会いは、1922年(大正11年)3月25日、櫓山荘で開かれた高浜虚子の歓迎句会であった。多佳子23歳の時であった。寒い日で暖炉に火が入った室内で生けてあった椿がぽとりと床に落ち、若き女主人が立ち上がり椿を暖炉に投げ入れた。それを見た虚子が「落椿投げて暖炉の火の上に」と即吟した。この出来事に感動した多佳子はすぐに俳句を習いたいと夫に話し、その場にもいた地元の俳人、杉田久女の手ほどきを受けることになった。久女は多佳子の才能を認め、時間を忘れて指導しようとしたが、多佳子にとっては習い事の範囲であった。多佳子は後に、久女に俳句の恐るべきこと、格調の高さを教え込まれたと述べている。

1927年(昭和2年)、「ホトトギス」雑詠に「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」が初入選した。1929年(昭和4年)、「ホトトギス」400号記念俳句大会が大阪・中央公会堂で開かれ、そこで久女に山口誓子を紹介された。誓子は多佳子より2つ年下で、新興俳句の旗手として注目の俳人であった。かねて誓子の作風にひかれていた多佳子は、1935年(昭和10年)1月より山口誓子に師事し、生涯の師とし、本格的に俳句にのめり込んでいった。同年4月には水原秋桜子が主宰する「馬酔木」の同人となった。

1941年(昭和16年)、42歳で初めての句集「海燕」を刊行した。誓子は序文に「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道。橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人である」と記した。しかし、この第一句集は「女誓子」と酷評され評判が悪かった。1948年(昭和23年)、誓子主宰「天狼」に参加し、同年榎本冬一郎と「七曜」を創刊した。戦後の代表的俳人として活躍し、女性の哀しみ、不安、自我などを女性特有の微妙な心理によって表現した。硬質でクリスタルのような輝きを持つ作品で知られる。

その他の特記事項

多佳子は生涯に5冊の句集を刊行した。第1句集『海燕』(1941年)、第2句集『信濃』(1946年)、第3句集『紅絲』(1951年)、第4句集『海彦』(1957年)、第5句集『命終』(1965年)である。2018年には角川ソフィア文庫から文庫初の『橋本多佳子全句集』が刊行された。

櫓山荘跡地は現在「櫓山荘公園」として整備され、建物はないが庭園の遺構や当時の階段などが保存されている。櫓山荘がある櫓山(やぐらやま)は、小倉藩の番所の櫓があったことに由来する。当時、櫓山荘は小倉の文化サロンとして利用され、さまざまな文化人が訪れた。

田辺聖子は久女の評伝小説「花衣ぬぐやまつわる…」でこの二人を注意深く対比させており、多佳子について「生来の順応力と洞察力で生活自衛的に周囲(とくに夫)の顔色を読み、敵を作らなかった」と評している。

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参考にさせていただいたWebサイト様
橋本多佳子 -- Wikipedia 橋本 多佳子 -- 北九州市文学館 美しき人 橋本多佳子(上)美貌の俳人 男の道を歩く -- 産経新聞

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別女性
本名多満(たま)
別姓山谷
別名多加女
生没1899 〜 1963

基準
向き
件数

現在、41句の俳句が登録されています。

    • 万緑 ばんりょく
      季節: 夏(三夏) 分類: 植物(総称)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.207
    • 露霜 つゆじも
      季節: 秋(晩秋) 分類: 天文(水)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.53
    • 秋出水 あきでみず
      季節: 秋(初秋) 分類: 地理(水辺)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.59
    • 練炭 れんたん
      季節: 冬(三冬) 分類: 人事(生活)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 冬
      p.105